今週の一枚 サザンオールスターズ『葡萄』

今週の一枚 サザンオールスターズ『葡萄』

サザンオールスターズ
『葡萄』
2015年3月31日発売



今週ついに店頭に並ぶサザンオールスターズ、実に10年ぶりのオリジナルアルバム『葡萄』。
JAPANの表紙巻頭特集を作りながら何度聴いたかわからないが、何度聴いても新たな発見があるアルバムだ。
ーーと書くとそんなことはサザンアルバムなんだから当たり前だろうと突っ込まれるかもしれない。
だが、『葡萄』はこれまでのアルバムとあり方が根本的に違うと僕は思う。
繰り返し聴くことでアルバムに込められた様々なアイディアや真理に「気づいて」いくのがこれまでのサザンアルバムだとするなら、『葡萄』は何度も聴いても「新しい」。
何度聴いても新鮮な驚きがある。
何度聴いても心が踊るサザン節がのびのびと鳴っている。
しかし、サウンド、メッセージともにどこまでも2015年的にアップデートされている。
JAPANのインタヴューの中で桑田佳祐自身、「デビューアルバムみたいだ」という意見に同意していたが、『葡萄』はサザン、デビュー37年目にして訪れた鮮やかな再生と言っていい。

と同時に、『葡萄』はやはり37年目の、これまでにない「重さ」を持つ作品にもなっている。

まず、『葡萄』の「新しさ」というのは、桑田佳祐がいくつもの新たな表現を試していること。
そして、実際に、僕たちは新鮮な実感を得ることができるということ。
つまり、それは、このアルバムを通して交わされる新しいコミュニケーションのことなんじゃないか。
例えば、“ピースとハイライト”で歌われる希望と明快なメッセージ。
例えば、“東京VICTORY”におけるオートチューンの導入や過去最高に突き抜けたスタジアム風コーラス。
あるいは、原由子ヴォーカル曲”ワイングラスに消えた恋”にある、”私はピアノ”以上に磨き抜かれた歌謡曲としての精度。
あるいは、“蛍”が描く、下心の海岸模様でも快晴の太陽が降り注ぐ湘南でもない、日本のお盆の情景としての夏。
そのすべてが、「スタンダードの更新」という、この日本でまさにサザンオールスターズにしか許されていない生業に向き合い、見事にやりきった楽曲に聴こえてくる。
少し言い換えるならば、あらゆる方向性において、サザンの肉体性が鮮烈に更新されているのである。
その瞬間に今再び、同時代者として立ち会うことができたことに深い幸せを感じる。

そして、僕はその「新しさ」にこそある種の重さを見る。
サザンが今、「37年目のサザン」をやりきっているということ。
つまり、「最新のサザン」と「みんなが求めるサザン」を重ね合わせ、そこにさらに「自分たちが今やるべきサザン」をぴたっと一致させた傑作を作り上げたということ。
その意味合いに大きな物語を感じる。
一昨年の復活から桑田のテーマは明らかに「今こそサザンをやりきること」である。
だから、“東京VICTORY”は2015年版「みんなのうた」でなければならなかった。
だから、“蛍”は国民の晩夏を歌わなくてはならなかった。

「サザンをやりきること」。
そんな巨大なテーマに、37年目のリアルな心情を込めてやりきっていく過程において、すべての曲は必然的に過去のサザンが作り上げてきたスタンダードを更新していったのだと思う。

『葡萄』はサザンがこれまで以上に、徹底的にサザンをやりきった作品だ。
その覚悟が「これまでのサザン」を超えた新しさをサザンにもらたしてしまったすごい作品である。
文句なしの傑作、文句なしのサザンアルバムだ。
だからこそ、その事実が怖いくらいに胸に迫ってくる。
この気持ちをわかってもらいたいと切に思う。
『葡萄』は本当に素晴らしく、だからこそ深く深く泣けるアルバムなのである。
(小栁大輔)
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