【10リスト】私たちの心を揺らしたKing Gnuの名歌詞10

【10リスト】私たちの心を揺らしたKing Gnuの名歌詞10
楽曲の鋭さ、圧倒的な演奏力と歌唱力、さまざまなカルチャーを巻き込んでいくアイコニックな存在感、ロックバンドとしての佇まいに、常田大希(G・Vo)、井口理(Vo・Key)、新井和輝(B)、勢喜遊(Dr・Sampler)、各メンバーの立ちまくったキャラ……King Gnuの魅力は数多くあるが、常田の書く歌詞もそのひとつだろう。決して難解だったり高尚だったりするわけではないが、どの曲の歌詞も、はっきりとした意思とメッセージが注ぎ込まれ、ポジティブな希望もネガティブな苦悩も率直に綴られている。そのときどきのバンドの状況とも、タイアップで巡り合った作品とも濃密にリンクしながら、ひとつの大きな物語を描き出していく名歌詞の中でも、ぐっとくるものをピックアップした。リスナー一人ひとりの人生とも共鳴する部分がきっとあるであろうこれらの言葉を軸に、もう一度King Gnuの音楽を味わい尽くしてほしい。(小川智宏)


①Vinyl
《今日も軽やかなステップで/騙し騙し生きて行こうじゃないか/真っ暗な明日を欺いてさ》

「トーキョー」の雑然、混沌とした空気はKing Gnuというよりも常田大希の表現の底に流れる通奏低音だ。さまざまな価値観が乱立し、欲望が渦巻き、孤独と孤独がぶつかり合い、時に暴力や罵声も飛び交い……そんな、見ようによってはディストピアにもユートピアにもなりうるムードを、この“Vinyl”は《喧騒狂乱に雨あられ》と歌う。どんなにお先真っ暗でも、つまり《明日》が《真っ暗》であろうとも、自分自身を覆う《ビニール》の殻を突き破って剥き出しの心と体で暴れろ、遊べとこの曲はアジテーションする。それだけがこの時代を、この世界を生き抜く方法だと。そんなふうに《騙し騙し》やっているうちに、いつか何かが変わるかもしれない。この曲を貫いているのはそんな切なる願いだ。それは当時King Gnuが置かれた状況に対する常田の思いでもあるし、時代の閉塞感に対する抵抗でもあったのだろう。MVと併せて味わうと享楽的なラブソングにも受け取れる、そのダブルミーニングの構造自体が、常田流の《軽やかなステップ》なのだ。

②Prayer X
《溢れ出した涙のように/一時の煌めく命ならば/出会いと別れを/繰り返す日々の中で/一体全体何を信じればいい?》

虚な目のピアニストが主人公になっているMVからもわかるとおり、King Gnuの楽曲の中でも一際パーソナルな心情を想像させる楽曲のひとつがこの“Prayer X”だ。始まりにあった本能や衝動と、そのあとに訪れた葛藤や苦悩。アニメ『BANANA FISH』のエンディングテーマとして書き下ろされ、King Gnu初のCDシングルとしてリリースされた曲だが、その登場人物に重ね合わせつつ、常田は音楽家としての自分自身を描いているのだと思う(それは、チェロを逆回転させたようなサウンドが時折挿入されるところからも窺い知ることができる)。とはいえ、その葛藤と苦悩は彼ひとりのものではない。曲の冒頭に置かれ、そのあともサビで繰り返されていく上記のフレーズは、決して一人称になることなく、普遍的な世界の真理を歌い上げている。「“Prayer X”は誰しもが持つ葛藤と祈りの歌なんだと僕は思います」とかつて井口理はコメントしていたが、そのとおり、まさに「祈り」のような響きをもった井口のハイトーンは、《何を信じればいい?》という絶望的な心境を逆転させるのだ。

③The hole
《ぽっかりと空いたその穴を/僕に隠さないで見せておくれよ/あなたの正体を/あなたの存在を/そっと包み込むように/僕が傷口になるよ》

その後“白日”、“三文小説”、“逆夢”と連なっていくKing Gnuのバラード群の最初に位置する楽曲であり、ある意味で最もバラード然とした曲がこの“The hole”だ。そして、《晴れた空、公園のベンチで1人/誰かを想ったりする日もある》と始まるこの曲は、どこまでもピュアで、だからこそ壮絶なまでに強い意思をもったラブソングだ。その意思はこのサビで歌われる《僕が傷口になるよ》という言葉に集約される。穴を塞ぎ、痛みをすべて引き受ける覚悟。タイトルにも通じる《ぽっかりと空いたその穴》は、別の箇所では《愛する誰かが自殺志願者に/僕らはそのくらい脆く不確かで》とより直接的に歌われているが、そんな穴だらけの《誰か》に何ができるのか、自分自身に問い詰めるようにして常田はこの《傷口》という言葉を導き出す。だが重要なのは、その思いが報われるものなのかそうではないのかという答えは決して書かれていないということだ。徹底的に一人称視点で書かれたこの曲の歌詞は、その意味で、ひたすら暗闇に向かって言葉と音を放ち続ける表現者としての覚悟をも示しているのだと思う。

④白日
《今の僕には/何ができるの?/何になれるの?/誰かのために生きるなら/正しいことばかり/言ってらんないよな》

超高難度ではあるが明快なメロディ、ポップソングとして非常にバランスの取れた構成、メロウで切ない歌詞の世界をバンドサウンドによって塗り替えていくようなアレンジの妙、どれを取っても文字通りKing Gnu乾坤一擲の1曲である。今「メロウで切ない歌詞の世界」と書いたが、ピアノとドラムが強いビート感で盛り上げる一方でどこまでも儚い記憶と願いを綴ったこの曲の歌詞は、“The hole”と同様、とてもピュアで、だからこそ残酷な愛と人生の姿を歌っている。この《今の僕には/何ができるの?/何になれるの?》という反語表現に表れる諦念、《正しいことばかり/言ってらんないよな》という忸怩たる思い、それらが《如何しようも無い今を/生きていくんだ》《地続きの今を歩いて行くんだ》という覚悟につながっていくところがこの曲のドラマだが、その「人生なんてそんなもんだろう?」という開き直りは、「人生はクロースアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」というチャールズ・チャップリンの名言にも通じるものだと思う。

⑤どろん
《人生にガードレールは無いよな/手元が狂ったらコースアウト/真っ逆さま落ちていったら/すぐにバケモノ扱いだ》

個人的に、King Gnuの歌詞の中でも一際好きなフレーズがこの《人生にガードレールは無いよな》のところである。単純にその通りだな、と思うし、さまざまな解釈がありうるだろうが、疾走感のあるロックサウンドに乗せて常田が叫ぶこの言葉には、主題歌となった映画『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』の世界観やストーリーはもちろん、それと同時に常田自身の人生論、哲学、そしていざ勝負の時を迎えたバンドの決意、すべてが歌い込まれていると思うからだ。パンクロックでいう「NO FUTURE」、一寸先は闇だからこそ今この瞬間に全力で突っ込んでいくその精神性。怒涛のように捲し立てられるこの曲の言葉がおもしろいなと思うのは、とてもシリアスで社会批判的なニュアンスも含んでいる一方で、どこかポジティブで、なんならそんな無情の人生のハードコースをドライブすることを楽しんでいるような感じもあるところだ。コースを外れて《バケモノ》になることは果たして負けなのか? そう世の中を挑発しているようにも思える。

⑥壇上
《本当に泣きたい時に限って/誰も気づいちゃくれないよな/人知れず涙を流す日もある》

アルバム『CEREMONY』の最終盤に置かれた、常田の独白のようなピアノバラード“壇上”。《叶いやしない/願いばかりが積もっていく/大人になったんだな/ピアノの音でさえ胸に染みるぜ》から始まるこの曲は全編、ひとりの男が自分自身に問いかけるような叫びに満ちている。その意味ではこの曲は常田のブルースであると言ってもいいのかもしれない。“白日”での大ブレイクを経て待ち望まれる中リリースされたアルバム、その最後にこれほど孤独で引き裂かれたような心情を歌うというのは一体どういうことなのか、想像を絶するものがあるが、ただ、ここで歌われている孤独と失望と「それでも」という期待は決してソングライターひとりのものではない。誰にだって《人知れず涙を流す日》はあるし、気づいてほしいと願うこともある。革命の先導者のように巨大な旗を振る男でもそれは同じだということを、この歌詞は告白している。これは壮大な「セレモニー」の最後にぶちまけられた孤高のクリエイターによる「人間宣言」なのだ。

⑦三文小説
《僕らの人生が/三文小説だとしても/投げ売る気は無いね/何度でも書き直すよ》

某アニメ映画の主題歌のように自分自身で自分を「ありのままでいいんだ」と肯定するのはどうにも苦手というかはっきり言えばムカつくが、人に向けてかけられる「君はそのままでいい」という肯定の言葉には感動を禁じ得ない。なぜならそれは無条件の愛であり、受け入れるという決意だからだ(自分もそう言ってほしいだけかもしれない)。まさに《怯えなくて良いんだよ/そのままの君で良いんだよ》と歌うこの“三文小説”はそんな愛のありかたをまっすぐに歌い切った名曲である。人生が小説や芝居であるとして、それが人から見てどんなに不出来でくだらないものであったとしても構わない、どこに向かうとしても《何度でも書き直》してひとつの物語にしていくから、というこの曲の「僕」の思いは、この曲が主題歌となったドラマ『35歳の少女』のストーリーや設定とリンクしながら、“The hole”とも“白日”とも違う力強さを醸し出す。のちの“カメレオン”にもつながる、King Gnuのバラードの新境地となった楽曲だ。

⑧BOY
《走れ遥か先へ/汚れた靴と足跡は/確かに未来へと/今駆けてゆく/息を切らした君は/誰より素敵さ》

どれもそうなのだが、映画やドラマやアニメ、つまり、ある「物語」とタイアップするということが常田は抜群にうまい。正確に言えばタイアップがうまいというか、物語と自分のチャンネルが合う接点を見つけ出し、それを表現するのがうまい。たとえばこの“BOY”はアニメ『王様ランキング』のオープニングテーマとなった曲だが、このサビのフレーズは《君は/誰より素敵さ》と主人公ボッジにエールを送りながら、同時にKing Gnu自身の物語を新たなフェーズへと押し出していくようなメッセージをもったものになっている。《汚れた靴と足跡は/確かに未来へと/今駆けてゆく》という汗まみれの青春は確実に《明日を信じてみたいの》と歌った“Teenager Forever”のその先で歌われているし、とりわけ《汚れた靴と足跡》というワードは、飄々としたテクニシャン集団のようでいてその実地道な努力の蓄積によってのし上がってきたこのバンドのありかたを端的に物語っている。軽やかなメロディと相まって目の前に光が広がっていくようなイメージがみずみずしい。

⑨逆夢
《あなたが望むなら/この胸を射通して/頼りの無い僕もいつか/何者かに成れたなら》

《あなたが望むなら/この胸を射通して》、つまり命を賭してなお揺るがない愛の姿を、この極限的に美しいバラードは鮮やかに描き出す。映画『劇場版 呪術廻戦 0』のエンディングテーマとして“一途”との両A面シングルでリリースされた“逆夢”は、“一途”と対をなす楽曲であると同時に、おそらく“白日”へのアンサーでもある。もちろん『劇場版 呪術廻戦 0』の登場キャラクターである乙骨憂太と祈本里香の関係性を下敷きにしたものという前提はあるにせよ、《今の僕には/何ができるの?/何になれるの?》と否定含みの自問自答をしていた“白日”から《頼りの無い僕もいつか/何者かに成れたなら》と力強く宣言する“逆夢”へ、あるいは《今日だけは/全てを隠してくれ》という儚い願いで終わる“白日”から、《正夢でも、逆夢だとしても》と意思を貫こうとする“逆夢”へ、という矢印は、King Gnuというバンドがどんな存在になってきたかを暗示しているように思える。

⑩カメレオン
《何度でも/何度でも/塗りつぶして/今の君にお似合いの/何色でも構わないの》

月9ドラマ『ミステリと言う勿れ』の主題歌として書き下ろされたこの曲。なので当然同作とリンクする歌詞になっているのだが、他のKing Gnuの楽曲と比べてもとてもシンプルな言葉になっているのが大きな特徴だ。『ミステリと言う勿れ』が「言葉」のドラマであるだけに、その余白の大きさが一層際立つ。歌詞の内容は「僕」から「君」へのラブソングにも取れるし、いつの間にか変わってしまった自分自身への自問自答としても読めるが、いずれにしても大事なのはどんなに変わってしまったとしても《何色でも構わないの》と受け止める覚悟を歌っているところだ。変化することは恐怖だし、過去が失われていくのは哀しいことだ。だがそれを乗り越えて《何度でも/何度でも/塗りつぶして》と「僕」は言う。《何度でも書き直すよ》と歌う“三文小説”にも通じる、より強い愛の形だろう。それにしても、ドラマや原作に照らした時に、「僕」は主人公の久能整だとして、「君」とは一体誰なのだろう?


【JAPAN最新号】King Gnu、ツアーの全貌から独自のロック論、現代のバンド観、そして“三文小説”“千両役者”から“一途”“逆夢”、“カメレオン”まで。2時間超えインタビューで今のすべてを語る!
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