【10リスト】この言葉に出会えて良かった、ゆずがくれた大切な言葉10

デビューした途端に一躍大きな支持を獲得し、シーンの第一線を走り続けて20周年を迎えたゆず。目下『YUZU 20th Anniversary DOME TOUR 2017 ゆずイロハ』の真っ最中だが、一度も立ち止まることなくリリースやライブを続け、トライアルを繰り返しながら表現の可能性を押し広げてきた彼らのキャリアは、本当にそのまま順風満帆と言えるものだったろうか。『ROCKIN’ ON JAPAN』、『bridge』、『H』各誌上インタビューに残されてきた言葉には、彼らが直面してきたいくつもの困難と、勲章にも似た格闘の痕跡がある。この20周年というタイミングに、それらを振り返ってみたい。(小池宏和)


① 愉快に生活してました。つまんないながらに
楽しいことを見つけようというか『くだらねえ』って言うのも面白かった
――岩沢厚治
(『H』2014年3月号より)

このときのインタビューで、北川と岩沢はそれぞれの高校生時代を振り返っている。一見ポジティブなように見える言葉の裏側には、とても刹那的に日々の生活に向き合っていた、当時の岩沢の心持ちが表れている。高校生なら、アイデンティティの置きどころや進路に思い悩んでいてもおかしくはない時期だが、不安や苛立ちを押しつぶすように楽しみに没頭する姿勢が、彼を横浜・伊勢佐木町での弾き語りライブにも駆り立てていたはずだ。


② (“夏色”を)ツアーでやらなかったこと、一回もないんですよ。
パブリックイメージの象徴だったから、やめようって気持ちになったこともあったけど、
大人のみなさんに諭されて。でも、そのときやってよかった。
――北川悠仁
(『ROCKIN'ON JAPAN』2017年6月号より)

20周年ベスト『ゆずイロハ 1997-2017』のリリースタイミングに行われたインタビューで、彼らの楽曲を厳選しそれぞれ語ってもらう内容。“夏色”という「概念の発明」によってこの曲は普遍的な価値を持つ人気曲となったわけだが、成長・変化するアーティストにとって、イメージを決定してしまう楽曲はときに重荷にもなる。デビュー以来の20年は、このシングル曲の価値と向き合い続け、考え、共に成長する20年でもあった。


③ 『こんなにしんどいはずがない!』と
思ってたんです。『音楽とは楽しいはずだ』っていうので助かってるとこあるから
――岩沢厚治


僕はしんどかったですね。
1人の人間として嘘つきになりたくないって いうので葛藤してたと思うから
――北川悠仁
(『ROCKIN'ON JAPAN』2003年4月号より)

5作目のフルアルバム『すみれ』リリース時のインタビューより。快調にリリースを重ねる裏側で、ゆずは生みの苦しみを味わい、それを乗り越えることで進むべき道を切り拓いてきた。理想を自分自身に言い聞かせるような岩沢と、理想との距離感を受け入れ苦しむ北川。ふたりは同じ方を向いて同じ苦しみを味わっているのに、口にする言葉が違っている。この差異は、そのままふたりの作家性の差異や、ゆずのハーモニーの在り方にも繋がっている。


④ 学生時代はほんとにしらけてた。
転がり落ちてく感じでしたよ。
だから、“栄光の架橋”みたいな曲を作っても敗者に目が行くっていうか
――北川悠仁
(『H』2014年3月号より)

①の岩沢の言葉と同じく、高校生時代を振り返るインタビューの中での北川の発言。熱心に取り組んでいたバスケットボールを怪我で断念し、シニカルなポーズを取ることで自我を守っていた当時の様子が窺える。努力と成功、そして挫折の体験が、例えば“栄光の架橋”の綺麗事では済まされない作風にも落とし込まれているわけだ。ゆず作品の根本的なリアリズムに直結する言葉である。


⑤ ゆずっていう魔法が解けたっていうか。
目が覚めたっていうか。
そんな感じがしたんですよ
――北川悠仁
(『bridge』2008年5月号より)

『WONDERFUL WORLD』のインタビューより。10周年プロジェクトを経て、それまでのルーティンワークをリセットする取り組みに臨んでいたことが語られている。アルバムには多くのプロデューサー/アレンジャーが携わっているが、実は自分たちのプライベートスタジオでふたりが向き合い音を鳴らす、というプロセスが重要だった。10年分の年輪が構成するグループとしての太い幹を、ふたりが真っ先に、積極的に掴みにいったことが窺える。


⑥ 歌が近くにあるからどこに行っても大丈夫。
ゆずはそれぐらい時間をかけて成長してきた
――岩沢厚治
(『bridge』2012年5月号より)

『YUZU YOU [2006-2011]』のインタビュー記事では、直近の5年間を語る上で、やはり10周年以降の変化が重要だったことが挙げられている。ゆずのあるべき姿や、生み出される楽曲について、ふたりが顔を突き合わせて考える時間を確保したということ。「歌が近くにある」という自負は、ふたりが幾度となく積み重ねてきた確認作業があればこそ生まれた言葉だ。この言葉を支えている経験の厚みは大きい。


⑦ 音楽やめたくなるじゃん。
どんな仕事もそうだけど、あまりにも無力じゃない。
やってきたことが一発で粉々にされて。
いろんな人の夢が打ち砕かれて。
だから「やめない」って強く思わないと消えてなくなってしまう。
そのぐらい試されてる
――北川悠仁
(『bridge』2011年7月号より)

東日本大震災が発生した時、ゆずは『2-NI-』のツアーのリハーサルを行っていた。ツアー内容の再構築を余儀なくされるとともに、タイトルは「2-NI- × FUTARI」に変更。ふたりの路上ライブスタイルも盛り込まれることになる。5月3日の仙台公演は残念ながら中止となったが、急遽同地でのフリーライブが行われた。多くの人々が無力感に苛まれ、生活や行動を制限されていた時期。音楽は試され、ゆずの底力も試されていた。「やめない」という言葉は、このときのツアーで発せられていたものだ。


⑧ 答えなき問いとか、拭いきれない思いとか、
狂気とか、暗さとか、闇とか――
それをただ表現するのが
ゆずの役目ではないと思うんだけど、
今はそういうリアルなメッセージを
投げかけたいという思いがあった
――北川悠仁
(『H』2013年12月号より)

シングル『雨のち晴レルヤ/守ってあげたい』のインタビューだが、ここではその前段としてのアルバム『LAND』のことが語られている。震災後のアクションとして、どうしても向き合わなければならなかったもの−−−ポジティブでも晴れやかでもない感情を、ゆずはアルバムに込めた。国民的グループであるゆずと、真摯な表現者であるゆずがピタリ合致した結果だ。それを引き受けたからこそ、片やNHK朝ドラの主題歌、片や映画主題歌という『雨のち晴レルヤ/守ってあげたい』を生み出すことも出来たのである。


⑨ 変な作り話やかっこつけ精神みたいなものは一切捨てようっていう鉄のルールがあって。
歌いたい歌を歌いたいだけなので
――岩沢厚治
(『ROCKIN'ON JAPAN』2017年6月号より)

再び、20周年ベストのインタビューの中での発言。「鉄のルール」と一口に言っても、アーティストの道のりとは新たな挑戦の積み重ねであり、人は成長するほどに見える景色も抱えるテーマも変わる。変化と無縁ではいられない。ゆずにとってもそれは同じだ。歌うべきテーマのスケール感が変わっても、一定した距離感のリアルな視線を持つ歌にこそ体温が宿るのだということ。岩沢は、そういう文脈の中でこの話をしている。それこそ格好だけでは済まされない、絶対的な価値観としての「鉄のルール」なのだ。


⑩ どうやったってふたりだし。
ひとりでやる大変さと気楽さも、
ふたりでやれる気楽さと大変さもあって。
それでも、やっぱりパートナーがいいって
20年やってきた
――北川悠仁
(『ROCKIN'ON JAPAN』2017年6月号より)

北川悠仁と岩沢厚治。誰もが知るこの2人組は、少年時代以来の友人同士であり、シンガーソングライターとしてのライバル同士、そしてお互いに最も近い批評家であり続けてきた。活動の中で幾度となく関係の息苦しさを感じながら、一方で彼らはふたりという関係にこそ救われ、このふたりだからこそ最大の力を発揮した瞬間を我々はいくつも知っている。ずっと親密さを感じさせているのに、奥深い神秘性も兼ね備えた唯一無二の「ふたり」というパートナーシップ。これからのゆずは、一体何を見せてくれるのだろうか。


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