救われたいと願う夜に - ビレッジマンズストア『YOURS』およびリリースツアーファイナルに寄せて

生活をしている。誰しもがそうなのだが、生活をしている。日々、生きるために労働もするし、私は好きなことを仕事にしている。泣いたり笑ったり怒ったり悲しくなったり、時には愛しいと思ったり大切にしてもらったりして毎日を重ねていくけれど、どうして生きるのにこんなに向いていないのだろうと毎日のように思う。「生きづらさを抱えていない人間なんていうのは最近ほとんどいなくなっていて、誰しもが孤独を感じているんですよ」とテレビ画面の中で深刻そうにコメンテーターが言うたびに、一体この人に何がわかるのだろうと思った。だって私のことを知らない人間に私のことを好き勝手解説される訳にはいかない。それはただの子供じみた意地かもしれない。それでも感じている毎日の息苦しさに、それは誰でもあることですから大丈夫ですよ、だなんて下手な慰めを施してほしくなかった。それを受け入れられるくらいなら、そもそも生きづらさなんて感じていない。

 さて、名古屋の暴れ馬の話をしよう。

 名古屋の暴れ馬ことビレッジマンズストア。焦燥と劣等感をもって焦燥と劣等感をぶち壊す、そんな謳い文句を掲げた五人組ロックバンド。2018年8月にリリースされた最新アルバム『YOURS』を、私は突然決まった出張先の辺鄙なビジネスホテルでノートパソコンに取り込み、その間に近くのコンビニで買ったレモンサワーの缶を開けて、そして再生した。昔から知っている訳でもない、青春を共にした訳でもない、大人になってからのごく最近の話だ。でもそれが出会いだった。ゴリゴリのロック、重みのある音、色気のある声、ちゃんと目で追って知りたくなる歌詞。洗練されシンプルに格好いい歌もあれば、ポップな音なのに泣きそうになる歌もある。そこから興味を持った私は目の前のノートパソコンで調べ、一番最初に目に飛び込んできた画像に正直ビビった。赤スーツ五人組。絶対ヤンキーだと思った。スーツで音楽を奏でる人間は個人的には好きなのだけれど、いかんせん真っ赤である。まごうことなき真っ赤。そして黒シャツに白ネクタイ。赤いスーツに身を包んだ五人組のロックバンド、通称・名古屋の暴れ馬、ビレッジマンズストア。思えば全てが刺激的で、魅力的で、ビビったといいながらも気がついたらライブの予定を調べ、出張から帰る次の日のバスとライブのチケットをその場で取っていた。どうしてもこの耳で直接聴きたい歌があったし、私の焦燥と劣等感をぶち壊せるならぶち壊して欲しかった。

 2018年10月13日、名古屋ダイアモンドホール、YOURSリリースツアーファイナル。そこに滑り込んだ私は多分傍目から見て浮いていた。周りはきちんとバンドのTシャツを着て、ラバーバンドを何個も手首につけた人たちばかりである。何処何処にも行ったけどよかっただとか、誰々がすごく格好いいだとか、友達同士で楽しそうに話す人たちがたくさんいた。一方私はラバーバンドすらつけておらず、日程通りだと今日が19公演目であるということを目の前の女の子のTシャツの背中の文字を数えて知った。たくさんの人が溢れ返るフロアで、完全にひとりだった。けれど疎外感みたいなものは不思議とあまりなく、それよりも、今からきっと人生でたった一度の夜が始まるという期待の方が勝っていた。そして、本当に、私はあの瞬間を忘れないと思う。お決まりらしいSEが流れ、あちらこちらで待ちきれないと歓声があがる。誰からともなく手拍子が始まり、赤いスーツに身を包んだ彼らがゆっくりとステージに登場する。ギターを肩へと掛け、ピックを指に挟み、ベースを携え、ドラムのスティックを持ち、真剣な面持ちの彼らの戦闘態勢が整おうとしている。そして白い羽ショールを首に纏ったボーカル、水野ギイがブーツの踵を鳴らし壇上を横切る。彼の指がコードを踊らせマイクを握った瞬間、その夜が始まった。

《 終わりを見せてね 行き先の迷う世界の 果てでいつも待っていて 》( サーチライト )

 一曲目のサーチライトはミュージックビデオより音源より何より格好良くて、青白い照明が赤いスーツの上を滑っていくのも、センターで叫んで手を伸ばす水野ギイも、跳ねるメンバーも、もう何処を見たらいいか分からないくらいの圧だった。行ってこい祐太朗、水野ギイの声に躍り出た荒金祐太朗のギターが沢山の手の隙間から見えた。何の言葉にもならずに呆然と見つめた先で、荒金祐太朗は本当に楽しそうにギターを弾いた。音楽のことは何もわからなくたって、彼のギターが今自分に突き刺さっているのだということだけはわかった。荒金祐太朗のギターは叫び声に聞こえた。知らない間に手を上げていた。知らない間に叫んでいた。その瞬間、そういえばいつも冷静ですけど楽しい時もあまり興奮とかしないんですか? って、出張先で不思議そうに訊かれたことが一瞬頭を過ぎり飛んでいった。そんな訳あるか。興奮くらいするわ。正直楽しすぎてあまり覚えていない。セットリストすら覚えられず、終わってから調べた。曲名を見ると不思議と、ああこうだったな、と、ちらほら思い出してくる。岩原洋平はニコニコと笑みを絶やすことなく、なのに指も体も目で追えない程に動いていた。俺は楽しいけどアンタらはどうなんだって問いかけるみたいに、沢山の人に頷き返しながら壇上をターンする。踊るみたいにギターを弾いた。そんなの見てる方も、楽しくないわけがない。ベースのジャックの指は何処までも冷静に、全てを裏付けるみたいに弦を辿るのに本人が時折愉しげに笑うものだから音だって愉しそうに聞こえた。クールな表情だけれど実はきっとめちゃくちゃ熱い人なんだろうと思う。坂野充のドラムはキメてほしいところでズドンと飛んできた。時折舌を覗かせてお茶目な表情を見せるけれど、メンバーの信頼感が多大に寄せられているのも分かった。ドラムを振り返るメンバーはどこかホッとしているように見えた。爆発みたいな音の洪水の中で叫ぶ水野ギイの声が、まるで祈りのように聴こえる。

《 誰か見つけてよ ミッドナイトから 騙していいと煽った途端 賑やいでさ 吐瀉物が服を汚したよ 》( WENDY )

《 道徳内で爆破寸前 人道的な導火線に 正座して着火したんだ 》( Don’t trust U20 )

《 及第点の洪水で 息をするのも忘れそうなんだ 》( アディー・ハディー )

 ビレッジマンズストアの曲の歌詞に、底抜けに明るいものは少ないと思う。世界平和は歌わないし、真っ直ぐにアイラブユーなんて言わない。だって導火線に着火する時ですら正座なのだ。部屋の隅で獣にもなる。凡そ青春と呼ばれるような学生生活を送らず、なんでもない顔をして大人になってしまった人間が、大勢の中で叫べなくとも正しいのはこちらだと証明したい、いや、証明したかったって心臓の奥の奥へしまい込んだ劣等感を、葛藤を、水野ギイはぶちのめしてくれる。間違ってるのはおまえじゃないよって言ってくれる。最終電車を逃して早歩きした夜道で無理矢理耳へ押し込んだイヤホンから、乗車率百パーセント越えの満員電車のウォークマンから、そしてこのステージから、ビレッジマンズストアは肯定してくれる。それがどれだけ救いだったか。救われたのだ。たぶんそんな人間は少なくないと思う。そして真っ直ぐにアイラブユーと言わない代わりに込められた歌への愛が、こんなにも痛く苦しく熱い。

《 明後日の言葉が出てこないよ 二百万回の寝返り打って 眠れない夜は君のせいじゃない 》( 眠れぬ夜は自分のせい )

《 大層な盾構えて何やってるんだ 君の方が狂っているんだぜ 》( 逃げてくあの娘にゃ聴こえない )

 何かを察したらしく前へ前へと密度が高まるフロアへと、ギターを構えた彼らが走って、なんと背中から、跳んだ。ツインギターが人間の上を泳いでいる。人の手に背を支えられて運ばれ、それでも演奏は止まらない。激しさを増して其処にあった。何処かで、ああこれは非日常だと思う。日常を頑張ってよかったとさえ思う。ご褒美みたいなエンターテイメントが其処にあって、彼らはどこまでもエンターテイナーだった。お祭り騒ぎのような音と声の中で、岩原洋平の足が目の前で高く上がる。赤いスーツは人の手の上でも目立った。それを見送る水野ギイがやけに優しい顔をしていたのを覚えている。たくさんではないにしろ様々なライブには行ったと思う。けれどこんなにワクワクしたのは初めてだった。日常を抜け出した、秘密みたいな夜。

 そして、ライブの順番としては前後するのだが、私が一番生で、この耳でこの目で全身で聴きたかった音楽こそ『YOURS』の一番最後の収録曲『正しい夜明け』だった。

《 僕ら 正しい 夜明けが隠した孤独を照らしても 目の下滞る血潮の悲鳴に 君が笑う 》( 正しい夜明け )

 その曲の前のMCで、私は号泣した。もはや号泣しすぎて彼が何を言っていたのか覚えていない。それでも、あの夜、肯定された気がするのだ。おまえが正しいということをおれたちが証明してやる、と言ったと思う。気が触れると思ったそんな夜に、ビレッジマンズストアは、俺たちが証明してやると言った。仕事や学校や、生活をしている私たちがその日そこにいたこと、その日まで生きていたこと、興奮を隠さず叫んだこと、日常を生きるために一瞬の非日常に思いを馳せたこと。なにひとつ間違っていない。水野ギイは赤いスーツを着て、ステージに立つ。時折誰かの手を確かめるように握りながら、なにより優しい眼差しが、肯定するように向けられる。

「すきなアイドルは引退して、すきなバンドは大人になってつまんなくなってさ。おれだけ十五年変わんなくてなんでかなって思ってたんだ。ずっとおれだけ変わんなくてさ。だけどわかったよ。おまえ達が変わってないもんな。おまえ達が変わってないのにおれたちが変わるわけないんだ。もしもおまえ達が変わっても、ちょっと戻ってきた時におれたちはここで変わらず歌ってるよ。おまえがちょっと懐かしくなってさ、部屋でCD聴こうってスイッチ押したその時にさ。おれはおまえの隣で歌うよ。そのために変わらずにいるよ。ちょっと振り返ったその時におれは変わらず此処にいるからね」

 そう言って歌い出した水野ギイをセンターに構えたビレッジマンズストアは、どこまでも泥臭く格好良く美しかった。本当に、その身が朽ちるまできっと、歌うのだろうな。音を奏でるのだろうな。そう思って、その夢みたいな夜は幕を閉じた。

 生活をしている。誰しもがそうなのだが、生活をしている。日々、生きるために労働もするし、私は好きなことを仕事にしている。泣いたり笑ったり怒ったり悲しくなったり、時には愛しいと思ったり大切にしてもらったりして毎日を重ねていくけれど、どうして生きるのにこんなに向いていないのだろうと毎日のように思う。けれど私達は生活の中で良くも悪くも変化していく。私も住み慣れた地から東京へと居住を移し、死ぬくらいならぶちのめしてやると思ってこれでも毎日を生きているけれど、もしかしたらその血肉はあの日より少しずつ色褪せてきているのかもしれない。それでも、それすらも美しいと歌った、その姿に救われた気がした。勝手に救われた。まだ終わりじゃない、はじまったところだ。変わってもいいと言ってくれた。とっておきの戦闘服に身を包んだ彼らこそ、救われたいと願う夜をぶちのめしてくれるヒーローなのかもしれない。初めて歌を聴いて、初めて足を運んだ私ですらそう思ったのだ。私は彼らがどんな夜を重ねてきたのか知らない。最新アルバムから聴いた人間で、まだまだ彼らの歌を知らない。そのことにすら、わくわくしている。だって彼らはまだ始まったばかりだ。終わりじゃなくて始まりだよって、ここから始まるんだよって彼らはそう言った。ああ、あなた達を今まで応援してきた人間はどれだけしあわせなんだろう。そしてそう思わせてくれるアーティストは、音楽は、どんなに格好いいだろう。ぐしゃぐしゃに泣いた夜にあなたたちの歌があってよかった。勝手に救われることを許してほしい。

 もしも今、明るい歌を少し斜に構えて聴いてしまうなら、真夜中から見つけ出してほしいのなら、誰にも選ばれない気がしているのなら、救われたいと願う夜がそこにあるなら、是非一度彼らの音楽を聴いてみてほしい。そして出来ることなら生で観て欲しい。焦燥と劣等感をもって焦燥と劣等感をぶち壊す彼らは今日も、きみに、あなたに、おまえに、届くようにと、40センチ高いそのステージから最強に格好いい音楽を掻き鳴らしている。

 名古屋の暴れ馬の話をしよう。名古屋の暴れ馬ことビレッジマンズストア。
 彼らはまるでヒーローだ。だって、救われたいと願う夜に、必ず隣にいてくれる。


この作品は、「音楽文」の2019年1月・月間賞で入賞した東京都・冬出カエルさん(26歳)による作品です。


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