石巻で「櫻井和寿の表現の真髄」を目の当たりにした日 - 2019年8月3日、Reborn-Art Festival 2019 「転がる、詩」

2019年8月3日、宮城県、石巻市総合体育館。

Reborn-Art Festival 2019 オープニングライブ 「転がる、詩」

ものすごく、暑かった。
でも、櫻井和寿の表現は、人々の心のど真ん中を突き抜けていくように、清々しくもあり、熱くもあった。

青葉市子Salyu宮本浩次の順にライブは進行していった。
ラストの曲を終え、宮本浩次は叫んだ。

「みんなお待たせ!次はお待ちかねの櫻井和寿だ!!!」

これ以上シンプルで最高な繋ぎ方がこの世にあるのだろうか。それは言ってしまえば会場にいる人々の8割、いや9割くらいは櫻井和寿を待ち望んでいたかもしれない。だがそれを真っ向から認めこうも大声で叫べるものなのか。そんな、全細胞が痺れるようなセリフを放ち彼はステージを去っていった。

会場が暗転し、スポットライトがステージの左側を照らす。

この日は朝から暑かった。雲一つない青空から日差しは容赦なく降り注ぐ。暑い中、牡鹿半島を巡りアートを鑑賞した。色々と感じ考えた。でも暑かった。特にこのイベントのメインアートである鹿のアートまでの道のりは長すぎた。この暑さを超えて何かを感じろという挑戦状なのかとすら思えた。体育館に着き、チケットを見せフロアに入ると暑いは蒸し暑いへと変貌した。ライブ中は目の前の光景と音楽に全神経を集中させるという勝手な信条を持っているが、この日はそんな信条は迷わず捨てないといけなかった。迷わず捨てた。捨てないと意識を保てなかった。演奏し歌っている最中に扇いだり飲んだり冷やしたり本当に申し訳ないし悔しいとも思った。でも意識がなければ見ることも聴くこともできない。それだけは嫌だった。灼熱のつま恋での野外フェスや、豚小屋のような狭いライブハウスで人間が人間を圧し潰し人間が人間の頭上を転がるライブにも行ったが、この日の暑さはそのどんな暑さとも違いそのどれよりも暑かった。会場のほぼ全員が自分を扇いでいた。携帯扇風機はうるさいと思いパンフレットで自分を扇ぎ続けた。凍ったペットボトルは2本持ち込んだが、首筋や腕に当てて体を冷やしていると一瞬で溶けた。じんわり染み出してくる汗を拭き続けたタオルはもう全体がじっとりと濡れてしまった。震災直後、ご遺体を安置する場となっていたこの石巻市総合体育館。その床は今、パイプ椅子が敷き詰められ「転がる、詩」のアリーナ席となっている。約8年5カ月前、生命が途切れた方たちが運び込まれたのと全く同じ場所で、今人々は自分の生命と意識を保つのに必死だ。生と死は対になっている。生きる以上、死も常に自分の傍にいる。今から1秒後、1分後、1時間後、1日後、自分が死んだとして何らおかしいことではない。約8年5カ月前ご遺体が安置されていたこの場所で、2019年8月3日の今、全力でライブを楽しみ、ある人が出てくるのをひたすらに待ち続けているという紛れもない事実。それをどう言葉にしたらいいのかは私には分からない。分かるはずもない。言葉にできるはずがない。言葉にできないことがこの世にあるのだとしたら、まさに今この状況がそれにあたるのだと思った。そうして2時間弱どうにか肉体と精神を保ち、待って待って待って待って待ち続けた。ついに待ち望んでいたその人が目の前に出てくる。見える。会える。


真っ白なスポットライトに照らされ、真っ暗なステージの中心へとゆっくり歩いて来た櫻井和寿は、暗闇に射す一筋の光に見えた。


ここが「被災地だから」そう思ってしまったのかもしれない。「石巻」という場所を「被災地」と呼ぶことになったのは、間違いなくここを一度絶望が襲ったという紛れもない証明でもある。私は生まれてからずっと西日本に住んでいて、震災の時は大学1年生だった。身内も知り合いも誰一人東日本にはいなかった。震災と最も関係のない人間だったとはっきり言い切ってもいい。私のような何も経験していない人間が、何か言っていい訳がなく、何を言っても何の説得力もなく何の救いももたらさないということも分かっていた。でも、実際に被災地を目の当たりにして「何も関係がない人間だからこそ感じられ、発信できることがある」と思った。それくらい東日本大震災は東北にとって、日本にとって、また世界にとって大きいものだったのだと、安易に励ましの言葉をかけられるようなものではなかったのだと、紛れもなく現実だったのに何かの悪夢のようにしか思えないものだったのだと、実際に現地を自分の目で見ることで「見ないよりは」理解できたのだと自分の中だけでは思いたい。634mのスカイツリーを真下で見上げた時、スカイツリーが高いとは思ったが自分がちっぽけだとは思わなかった。でも、濁流が突き抜けコンクリートのみになった3階建ての中学校の校舎の屋上に設置された14mの津波の到達点を示した看板を自分の目で見た時ほど、自分がこんなにもちっぽけな存在だと思ったことはない。その14mは、この世に存在する何よりも高かった。



「くるみ」の歌い出しのフレーズ。

櫻井和寿の第一声を聴いた瞬間から、私は飲むことも冷やすことも拭くことも全て忘れた。櫻井和寿の声が、詩をまとい、体育館の隅々まで一気に広がり、空間が声で満たされていく感覚。もしやこの声は会場だけでなく、石巻全体、いや東北の、日本の、世界の隅々まで響き渡っているのではと思うくらい、穏やかで静かで、でも何よりも力強かった。会場の温度と湿度は変わっていないのに、その声が持つ力だけで、確実に何かが変わった気がした。水も、何もなくても、私の心はただ櫻井和寿の声だけで潤い満たされるのだとここまで感じたことはない。


《ねえ くるみ この街の景色は君の目にどう映るの?
 今の僕はどう見えるの?》


今まで何百回、いや千回以上聴いているのかもしれないこのフレーズ。この曲がこれから来る未来に向けた曲だということはなんとなく知ってはいた。だけど自分の中でスッと飲み込めていないのも事実だった。でもこの時、石巻でこのワンフレーズを聴いて、自分の心の中にあったバケツの中の水に、粉薬のようにサッとこの曲が溶けていったのを感じた。今までどれだけ一生懸命理解しようとかき混ぜても溶けることはなかったこの曲。石巻で聴くことで、あたかも簡単に溶けていってしまった。この曲は2003年にリリースされた曲であり、震災より前に作られた曲であることは間違いない。なのにどうしてこうもスッと溶けていってしまったのか。まるでこの日この場所で演奏されるために作られた曲のようにすら思えた。

《ねぇ くるみ
 誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ
 そんな時はどうしたらいい?》

《ねぇ くるみ
 あれからは一度も涙は流してないよ
 でも 本気で笑う事も少ない》

《希望の数だけ失望は増える
 それでも明日に胸は震える
 「どんな事が起こるんだろう?」
 想像してみよう
 出会いの数だけ別れは増える
 それでも希望に胸は震える
 引き返しちゃいけないよね
 進もう 君のいない道の上へ》

数えきれない程聴いたこの「くるみ」という曲が、全く違う曲に聴こえた。石巻という場所で演奏されることにより、「くるみ」がその姿を変えていく感覚。Mr.Childrenの曲にはいつだって自由な余白がある。聴く人によって、捉え方が違う。聴くシチュエーションによって、全く違う曲に聴こえることがある。その答えは一つじゃない。自由な余白があるから、人々はそれぞれいろんな想いをのせられるし、様々な時と場合と場所にスッと溶け込んでいくことができる。そのダイナミズムをこの時まさに体感した。小林武史と櫻井和寿が相談し合いこの曲を1曲目に持ってきたことの意味を噛み締めた。



この場所で演奏された曲はもちろん全て知っていたし、数えきれない程聴いた曲だった。
しかし全てが、自分の知っていた「曲」とは全く違う「曲」に思えた。

櫻井和寿は言った。
「曲ができた時々の想いはあるけど、これは転がる詩。苔が生えない。
 当時の思い出が蘇るだけじゃなく、今聴いてもあの時と違う感覚で届き、歌える曲を選んだ。」

まさに、その言葉通りの表現を目の当たりにした。



「Sign」はずっと恋愛の曲だと思っていた。だけど被災地を目の当たりにして、人間は自然の猛威には抗えないことを感じたのと同時に、どうしても自然と共に生きていかなければいけないのだとも思った。人間は自然の恵みがあるから生きていけるはずなのに、生きていくためにはどうしても自然を破壊しなければならない。そのどうしようもない矛盾への感謝と謝罪がこの曲の
《「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返して僕ら
 人恋しさを積み木みたいに乗せてゆく》
というフレーズにのっている気がした。人と人が、人と自然が、何かと何かが共生していく以上、傷つけ合わずには生きていけない。お互いが傷つかずに共生していけるだなんて綺麗事でしかない。そうなる以上、感謝と謝罪を繰り返して積み重ねていくしかないんだよなと思わされた。



詩に着目することをコンセプトにしているこのライブで「歌詞がないからこそ伝わることもある」と真っ向から真逆のことを言い放ち櫻井和寿は「北の国から」のテーマをワンフレーズだけ歌った。「今、歌詞がなくても北海道の景色が目の前に広がったでしょう?」と言った後、櫻井和寿が歌い始めたのは「ラララ」だった。いつだって櫻井和寿は「対」を主張する。だから「詩に着目しよう」というライブの場で「詩はいらない」と、全く真逆の、対となることを主張することは至極当然と言える。光があれば陰がある。言葉にできる想いがあれば、言葉にならない想いがある。櫻井和寿はその片方を置いてけぼりにすることは絶対にしない。いつだって対となる存在どちらも拾い上げる。本当に大切なことほど言葉にはならないのかもしれない。人が「ラララ」という言葉にならない何かを探し求め続けていくこの曲。震災により巻き起こった様々な出来事に対して「言葉にならない」という感情を抱くことは多いと思う。でも、無理に言葉にすることはないのだと思う。何も言えないのなら、何も言えませんと言えばいいと思う。言葉にならないような幸福や絶望を味わうことこそが人生なのかもしれない。「ラララ」も幸福なのか絶望なのか、出会うまでその姿はわからない。でもその「ラララ」が一体何なのか分からなくて答えを知らないからこそ、人は探求心を抱き、いろんな「ラララ」と出会いつつも生きていき、希望を胸に前に進もうと思えるのかもしれないと思った。



櫻井和寿が「自分の中で、これは良い歌詞が書けた!という絶対的な自信のある曲」だと色んな場所で自ら豪語し続ける「ロードムービー」。震災で人々は色々なものを失った。しかし、目の前に絶望が広がり何も進んでいないように見えても、私たちは確かに1秒1秒未来へと進んでいる。未来のことは決して誰にも分からないし目には見えるものではないが、そんな未来をこの曲では《街灯が2秒後の未来を照らし》というフレーズによって可視化している。未来はきっと明るく照らされているから、街灯を一つずつこえていくように、急がずに焦らずに、一つずつ次の未来へ進んでいこうというメッセージを感じた。



「CANDY」は一見、過去の恋愛への執着やしがらみだったり、自分のコンプレックスだったりを「胸のポケットの中のキャンディー」というメタファーとして表現しているように思える。だけどここでは「後悔」が「胸のポケットの中のキャンディー」なのではないかと思えた。震災があり、「もしこうしていれば」「あの時そうしなければ」というどうしようもない後悔を抱えている人もいると思う。しかしこの曲中では結局「胸のポケットの中のキャンディー」がなくなることはない。
《甘酸っぱいキャンディーが まだ胸のポケットにあるんだ
 君が食べておくれ》
そこにあるのは、食べておくれという願いだけで、過去には戻れない以上その願いが叶うことは決してない。だから、そのキャンディーはずっと自分の中に持っていてもいい。なぜならそのキャンディーが「その人が自分の大切な存在だった証明」になるから。その「後悔」を無理矢理忘れたり振り切ったりしてしまうことは、その人の存在も忘れ振り切ってしまうことになってしまうかもしれない。だから、その「後悔」はずっと持っていても大丈夫なんだよと優しく言ってくれている気がした。



「自分の父親がもうすぐ亡くなるという時に書いた曲もあります」というような前置きをし、歌ったのは「花の匂い」だった。この曲は全面的に故人への想いを書いていると思うが、石巻で演奏されたこの曲での櫻井和寿の歌声と表情と感情を目の当たりにして、この人は今、己の魂をもってして、震災によりこれから来る未来が突然途切れた人達の魂を鎮めようとしているのだと感じた。
《どんな悲劇に埋もれた場所にでも
 幸せの種は必ず植わってる
 零れ落ちた涙が如雨露一杯になったら
 その種に水を撒こう》
何かを決めつけたり押し付けたりすることを嫌い、曖昧さや自由な余白を持たせることを好む櫻井和寿が「必ず」という言葉をあえて使ったことの意味。そこにある強い想い。自然の猛威がどれだけ大きな絶望を人々に与えたとしても、決して100%の悲劇などない。99%は絶望かもしれない、でもたった1%かもしれないが必ず希望がある。泣いてもいいし、その涙には意味がある。このフレーズの中には「前を向こう」とか「上を向こう」とか「希望を持とう」というメッセージは一切ない。涙は零れ落ち、地面に埋まった種に水を撒く。全て、下を向いていないとできないことだ。100%が絶望ならば人は死を選ぶかもしれない、けれどそこに1%でも希望があれば生きることを選ぶのかもしれない。人間が生きていくのに必要なものはたった1%の希望だけなのかもしれない。だから無理に上を向かなくてもいい、下を向いたままでもいいから、どんな場所であっても自分の足で踏みしめている大地がある以上、そこに必ず幸せの種が植わってることだけは絶対に忘れないでいてという強い想いを感じた。この曲の長いアウトロの中で、櫻井和寿は2回シャウトした。マイクを両手で握り、体をねじらせるように下を向き、苦悶の表情で言葉にならない声をあげる。2回目のシャウトに至っては、間違いなく口は開いていて何かを発しているのだが音にはなっておらず何も聴こえなかった。ようやく最後に全てを出し尽くしたのか少し声が聴こえてシャウトが終わった。この人は今、表現者としてなのか、櫻井和寿という一人の人間としてなのかわからないが、自分のあらん限りの魂を出し尽くして、人間の生命だけではなく、自然の猛威によって失われた全ての物体を、当たり前にやって来るはずだったのに途切れた全ての未来を、すべて受容して鎮めようとしているのかもしれない。息をのんだ。あまりの壮絶な表現に息ができなくなった。人間のできる所業ではないようにすら思えた。「歌詞がないから伝わることがある」とは言っていたが、本当に何かを表現する時には「声」すら必要ないのだと思った。そうか、これが櫻井和寿の表現の真髄だったのか。今、初めてそれを目の当たりにしたのだと確信した。



そんな、鎮めるための壮絶すぎる表現をまた鎮めるように静かに流れ始めたイントロ。「Tomorrow never knows」はその全てが静かなるメッセージだった。
《果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう》
《癒える事ない傷みなら いっそ引き連れて》
《心のまま僕はゆくのさ 誰も知ることのない明日へ》
明日何が起こるかはこの世界の誰も知らない。そんな当たり前の事実を改めてここ石巻で突きつけてくれた。何が起こるか知らないから不安になるけど、何が起こるか知らないから生きてもいける。誰に強制されるでもなく、誰に指図されるでもなく、ただ自分の心のままに明日を迎えればいい。そんなメッセージを残してくれた。



「自分が病気をして活動を休んだ時に思いついた曲もあります」と、前半で前置きしていた曲。本編ラストの曲は「HERO」だった。

《例えば誰か一人の命と 引き換えに世界を救えるとして
 僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
 愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ》

《人生をフルコースで深く味わうための
 幾つものスパイスが誰もに用意されていて
 時には苦かったり 渋く思うこともあるだろう
 そして最後のデザートを笑って食べる 君の側に僕は居たい》

《残酷に過ぎる時間の中で きっと十分に僕も大人になったんだ
 悲しくはない 切なさもない
 ただこうして繰り返されてきたことが
 そうこうして繰り返していくことが
 嬉しい 愛しい》

人は愛し愛されながら生きていること。愛すべき人がいる故に、「死にたくない」と心が臆病になること。愛すべき人がいるから、どうしようもない苦悩や後悔を抱えることがあるということ。でもその苦悩や後悔は、愛すべき人がいるという何よりの証明になり得ることで、悲しくも切なくもなくただただ嬉しくて愛しいことであること。過ぎていく時間の中で、今も人間の営みが続いているのは、家族、友人、知り合い、近所の人、顔も知らないネット上の人、会ったこともない作家や芸能人、自分の周りにいるいろんな人から影響を受けて愛し愛されることが繰り返されてきたという証明で、きっとこの先も人間が存在する以上間違いなく繰り返していくことであるということ。

震災はスパイスにしてはあまりにも苦すぎて渋すぎるものだったかもしれない。だからこそ、この先、生きている人間全員が必ず迎えることになる「最後」はせめてみんな笑って迎えられますようにという温かい祈りを、この最後の曲から感じた。



極限まで暑くて仕方ないはずの狭い会場全体が、温かいと思える温度の手拍子に包まれ、ステージがもう一度光りアンコールの1曲目が始まった。Bank Band with Salyuの「MESSAGE-メッセージ-」。正直、私はこの場所で初めてこの曲を聴いた。それまで私は「Mr.Childrenの桜井和寿が好きでMr.Childrenの桜井和寿にしか興味がないので他の活動をしている櫻井和寿はどうでもいい」というまったく個人的な信条を勝手に掲げ、Mr.Children以外の彼を積極的に知ろうとしなかった。曲もろくに聴かなかったし、もちろん彼単体で出るライブやフェスに行こうと思ったこともなかった。しかし2019年5月12日のMr.Childrenのドームツアー「Against All GRAVITY」に参加しその価値観は全てひっくり返った。時間には抗えないこと、Mr.Childrenにも必ず終わりが来ること、いつか歩みが止まる日が来ること、でもそれを恐れてはいないことを目の前で本人たちに直接突き付けられ、価値観が変わってしまった。未来のことは誰にも分からないが、もしかしたらもう直接あの音とあの声に包まれる回数は両手で数えられるくらいしか残っていないのかもしれない。そして幸運にも今の自分は日々健康で、働いてそれなりにお金を稼ぐことができていて、自分の家族にも特に大きな問題はなく、日本も色々問題はあるもののそれなりに平和で、行こうと思えばライブに行ける状態なのだ。限られた時間の中で私ができることと言えば、行ける状態にあるならライブに行こうとするということではないのか。桜井が歌うのか櫻井が歌うのかを気にしている場合ではないと強く思った。だが正直今回の「転がる、詩」も、東北という遠い地であることもあり最初は全く行く気がなく申し込みすらしていなかった。しかし幸運にもTwitterで繋がっている方に優しく背中を押してもらい、トレード抽選に申し込み、滑り込みでチケットを手に入れることができた。この方がいなければ私は絶対にこの場所には行っていないので、現実でもインターネットの世界でも、やはり人との繋がりほど素晴らしいものはないと心から思えるし心から感謝をしたい。

《あれから少しでも 変わってこれたでしょうか?》

歌い出しのフレーズから心をガッと鷲掴みにされて揺さぶられた気がした。その問いかけに対する自分の答えは「Yes」なのだけど、揺さぶられた。ちっぽけな自分の人生の中でも様々な出来事があり価値観は変わった。だけどそういうことではなく、被災地を目の当たりにし、アートを鑑賞し、この「転がる、詩」に参加したことで思った。自分にも想いを繋ぐことができるはずだと。自分はただの平凡で何の取り柄もない一般人なのだけど、「想いを繋ぐ」ことは誰にでもできる。だから私はこの文章を書き、日記として自分の中だけに留めるのではなく、あえて人の目に晒す。人の目に晒すことで、良くも悪くも捉えられるだろう。肯定があるから否定があり、称賛があるから非難がある。でもそれはこの世界の人間が異なる価値観を持って生きているという素晴らしく紛れもない証拠でもある。この曲によれば「違う」ということは思いがけない可能性と想像を超えた大きな意義を忍ばせたメッセージだという。もし誰か一人でも、これを読んで私とは違う価値観や感性で、肯定でも否定でも、何かを想ってくれたらもうそれだけで十分だし私は私としてのちっぽけな役目が果たせたと勝手に誇りを持とうと思う。


アンコール2曲目の「to U」。
スクリーンに投影された歌詞は間違いなく
《愛 愛 それは強くて だけど脆くて》
だったのだが、櫻井和寿は堂々と
《愛 愛 それは脆くて だけど強くて》
と歌った。
私はその時「今、逆に歌ったけど間違えたのかな?」と思った。偶然だと思いあまり気にも留めていなかった。しかしこれもTwitterで繋がっている方から「1日目だけでなく2日目も同じように逆に歌っていた」と聞いた。1回は偶然かもしれないが、2回あることはきっと偶然ではないだろう。

櫻井和寿が
《それは強くて だけど脆くて》
ではなく
《それは脆くて だけど強くて》
と歌った意味。

スクリーンの歌詞は通常通りだったので、これは櫻井和寿個人で決め、個人として表現したことなのかもしれない。

強くて脆いのと、脆くて強いのは違う。
順番を逆にしただけで、詩を転がしただけで、全く違う表現になる。
愛は脆いけど、強い。


このたった一行がまさに「転がる、詩」そのものだった。
最後の最後の最後にまた櫻井和寿にしてやられてしまった。
今までMr.Childrenを好きでいられて本当によかった。
またかけがえのない思い出を心に刻みつけることができた。
これだから、Mr.Childrenはやめられない。
心の底から、櫻井和寿が、その存在が、世界一かっこいいと思った。
そして私は絶対に死ぬまでMr.Childrenと櫻井和寿を好きでい続けるのだろうと、また強く確信してしまった。


最後に、このRAFに参加された全てのアーティストの方と運営に携わってくださった全ての方へ。もしこのRAFが、想いを繋ぎ誰かの心に変化をもたらしたいというコンセプトの元に行われているのだとしたら、その参加者のひとりである私の心はこれ以上ないくらいに変化しました。この酷暑の中、円滑に全てが行われたこと、きっとわたしを含む多くの人に多大なる素晴らしい影響を与えてくださったことに大きな感謝と敬意を表させてください。本当に、ありがとうございました。


※《》内の歌詞はMr.Children「くるみ」「Sign」「ロードムービー」「CANDY」「花の匂い」「Tomorrow never knows」「HERO」
 Bank Band with Salyu「MESSAGE-メッセージ-」「to U」より引用


この作品は、「音楽文」の2019年9月・最優秀賞を受賞した兵庫県・けけでさん(28歳)による作品です。


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