【インタビュー】小山田壮平が新作アルバム『時をかけるメロディー』をひもときながら、旅、人生、そして音楽を語る

【インタビュー】小山田壮平が新作アルバム『時をかけるメロディー』をひもときながら、旅、人生、そして音楽を語る

気持ちが沈んでしまったときでも自分は音楽に救われて、そこからまた前向きに生きようという気持ちになれた

──今作はまさに『時をかけるメロディー』というタイトルがふさわしい作品ですね。別れや喪失の先に受け取るものや見える景色が写し込められていて、時を超えて響いてくるメロディーを表現している。そして前作『THE TRAVELING LIFE』から、今作でも「旅」が続いているというイメージがあります。今回のアルバムの構想はいつ頃から練り始めていたんですか?

「『THE TRAVELING LIFE』ができてすぐに、2枚目のアルバムを作ろうとは考えていたんですけど、2年くらい前に“時をかけるメロディー”という曲ができて、そこからアルバムの全体的なイメージがまとまってきました。僕は今福岡に住んでいて、エンジニアさんとかメンバーは東京にいるので、飛行機に乗って行ったり来たりしながらの制作でしたが、かなり細かいところまで自分と向き合って、こだわり抜いて作れたなと思っています。やっと完成してよかったです(笑)」

──“時をかけるメロディー”という曲ができあがったとき、どんなアルバムを思い描いていましたか?

「それまでに、すごくいろんなことが起こって。自分の気持ちが沈んでしまったり……というのは常にあるんですけど、そういうときでも自分は音楽に救われて、そこからまた前向きに生きようという気持ちになれたんですよね。メロディーというのは、普段自分が気づかないだけで、いつもそばにいてくれるものなんだなと。いつでも自分を支えてくれるもの。そういう音楽への愛を作品にすることができるなあって。“時をかけるメロディー”ができたとき、そういうテーマが湧いてきました」

──アルバムはまず“コナーラクへ”という、ブライトなバンドサウンドが高らかに響く曲から始まります。コナーラクというのは、インドの、太陽神寺院が有名な街のことですよね? そこを目指してペダルを漕いでいく、はやる気持ちがそのまま楽曲になったような1曲です。

「この曲がこのアルバムの中でいちばん古い曲で、19歳の頃に書いた曲なんです。姉の勧めで初めてひとりでインド旅行をしたとき、インドの東の端にあるプリという街に滞在していたんですけど、そこから15㎞くらい離れたところにコナーラクの寺院があって、そこに自転車を漕いで向かっているときに作った曲でした。この曲、当時いろんな旅人たちの前で歌っていて、すごい人気だったんです。日本に帰ってきてからも、そこで知り合った人から『この“コナーラクへ”が忘れられなくて、よく口ずさんでいるよ』ってメールが届いたりして。ひとり旅をするのも初めてだったし、いきなりインドだし、自分の中ではすごく大きな経験で、思い出の曲です」

──それが時を経て音源化されるという。

「実は、前にこの曲をラジオで歌ったことがあって、その録音がYouTubeに違法に上がっていたんですよね(笑)。それをたまたま見つけて、当時のことを思い出したりして。それで『時をかけるメロディー』というイメージにもつながって、収録を決めたんです。きっかけをくれたYouTuberさんには、『すみません。発売までは上げるのやめてください』ってお願いしたんですけど(笑)」

別れを自覚したときに、自分のいちばん大切なもの、自分が大事にしたいものが浮かび上がってくる

──続く“マジカルダンサー”もまた「旅」の中でインスパイアされた楽曲ですよね。

「2018年に、初めてインドに行ってから約15年ぶりに、もう一度ひとりでインドに行ったんですね。そのときにインドから北上してネパールに入って、そこで出会った日本人の旅人がいて。福岡出身のダンサーなんですけど、ほんとに出会い頭から、彼はもういい具合に酔っ払っていて(笑)」

──ハルキさんというダンサーの方ですよね。

「そうです。ハルキプラジャパティプリティーわっしょい。初めて会ったときに彼が盆踊りを踊ってくれて、すごいダンサーがいるんだなと思って。その出会いを歌にしたのが“マジカルダンサー”です。19の時にインドに行ってなければネパールに行くこともなかったし、その出会いもなかったから、この曲は“コナーラクへ”の終わりの波の音からつながっています。ちなみにプラジャパティっていうのは、そのときにもうひとりいたロイ・プラジャパティっていうインド人の友達の名前です。彼はインドのバラナシで日本料理とかを出すカフェをやっていて、日本語も上手で。ふたりともすごく大事な友達なんだけど、ハルキくんとロイくんは『兄弟だ!』っていうことになって、『俺はハルキ・プラジャパティだ』って名乗り始めて。そんな楽しい思い出があります」

──前作『THE TRAVELING LIFE』もハルキさんにインスパイアされた部分があったと思うんですが、ハルキさんは小山田さんにどんな影響をもたらしたんでしょう。

「自分は、ギターを持ってマイクがあって歌を歌うことができたら、ちょっと自分を解放することができるんですけど、基本的には人と話すのもそんなに上手じゃないので、ダンサーとかすごく憧れるんですよ。僕も家にひとりでいるときは踊ったりするんですけど(笑)、外に出るとなかなかそれができなくなる。そういうのをハルキくんは全解放でやっていて、なんでも適当でいいんだよっていう感じで踊り方を教えてくれて。もっと自分を解放しても大丈夫なんだという気持ちにさせてくれたのがハルキくんでした」

──旅の続きを感じさせる曲といえば、“月光荘”もそうですよね。沖縄のゲストハウスの名前がタイトルになっています。

「月光荘は国際通りの近くのゲストハウスで、国内からも海外からもいろんな旅人が集まる場所です。海外で会った友達が沖縄に来ているときに、久しぶりに集まってオリオンビールを飲んでいたんです。まさにハルキくんとかもいて。その滞在中にこの曲ができあがって、月光荘のスタッフの方たちにも披露しようと思っていたんですよね。きっと喜ぶだろうなって楽しみにしていたんですけど、僕たちがはしゃぎすぎてしまって、ちょっと怒られちゃったんです。だから今さら『月光荘の曲ができたよ』なんて言えなくなっちゃって(笑)、まだ披露できていないんですけど。でも、月光荘のオーナーの方は友達の友達でもあって、『よく(小山田の)お客さんが来てくれるんですよ』って言ってくれていて。次に沖縄に行ったときには、ぜひ月光荘で“月光荘”を歌いたいです」

──そうした「旅」というテーマが引き続きありつつ、最初に話したように、別離や喪失のあとに残る思いやその先で出会う景色を描く楽曲もこのアルバムでは印象的です。“恋はマーブルの海へ”からしてそうだったなと。


「この曲は、ドラマ『直ちゃんは小学三年生』の主題歌ということで、台本を読ませていただいて、自分の小学生時代を思い出しながら書きました。『出会いがあれば別れがある』という当然のことをまだ知らない年頃だったんですけど、当時、出会った人の腕に傷があるのを見つけて、子どもながらにそこに命の儚さのようなものを感じ取って──そういうことを曲にしたんだと思います。そして、別れを自覚したときに、自分のいちばん大切なもの、自分が大事にしたいものが浮かび上がってくる。それはあとに続く“汽笛”という曲にもつながっていくんですけど」

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